御無沙汰でした。
正月明けからバタバタしておりまして1ヵ月更新を怠って申し訳ありませんでした。
ブログ開設から既に4500回以上の閲覧を頂き感謝申し上げます。
今年も下手な似顔絵と下手な文章宜しくお願い申し上げます。
さて、カープはキャンプ・イン【球春】を迎えました。
今年は期待しています。
マエケンは更に進化したエースとしての投球術を披露するでしょう。今村もマエケンに続けとばかりにひと皮むけた活きのいいピッチングでローテ入り、ルーキー福井も一軍定着、大竹・永川復活、他投手陣の底上げ、栗原復活等々・・・・。明るい材料が多いでしょう。
ところで、先日のサッカーアジアカップの豪州との決勝で我広島の【李忠成】がド派手なことを
やってくれました。
名前は知っていましたが、ニュースで詳細を知るにつれてファンになりました。
精悍な顔付きでプレーもいいですが、生き様に共感しました。
以下、【ウィキペディア】からの引用した資料をご覧になって下さい。
凄い選手です。今年はサンフレに参戦しようかなぁ・・・。
李 忠成
1985年大韓民国国籍の在日韓国人4世として生まれる.
2004年U-19韓国代表候補に選ばれトレーニングキャンプに参加するも在日韓国人をさげすむ
「パンチョッパリ」という悪口まで耳にし、祖国での冷たい扱いにショックを受けた。
又FC東京では出場機会は得られず、わずか1年で退団を志望した。
2005年に柏レイソルへ完全移籍。
2006年、日本代表への憧れとU-22日本代表監督反町康治からの勧誘で日本への帰化を決意し申請。
2007年に帰化申請認可。
日本名は大山忠成、橋本忠成を考えていたが、「韓国姓を隠す必要がないことを示したい」との理由から、李忠成とした。また自身は「五輪がなければ国籍変更していない。」とも語っている。
日本に帰化をしようとしたら親戚から猛反対され帰化を迷っていたが、母親から「親戚中から縁を切られても私たちはいいから自分の思うようにしなさい」と言われたことで帰化を決意した。
その他にも日本に帰化した理由として、「五輪がなければ国籍変更していない。人生を変える大きな決断だった」と語っている。その一方で君が代を斉唱したときの気分を聞かれて「最高の気分ですね」と語っている。北京オリンピックアジア予選に臨むU-22日本代表メンバーに追加招集された。
2007年は、10ゴールを挙げて柏のエース格となる。
2008年には北京オリンピック本大会に日本代表として出場を果たしものの、柏では北京五輪出場など過密日程からくる疲労に負傷も重なり、わずか4ゴールに終わる。
2009年、試合にこそコンスタントに出場するものの、ネルシーニョへの監督交代後はベンチ入りもままならなかった。
2009年8月、サンフレッチェ広島へ完全移籍。
広島移籍は「広島のサッカーが好き」という理由と、Jリーグ草創期の小学校低学年で"血"を強く意識し憧れた盧廷潤が在籍したチームということもあるという。
2010年佐藤および山崎雅人の怪我による離脱に伴い先発メンバーに抜擢されると、リーグ戦5試合連続得点をマークするなどシーズン終了までリーグ戦12試合で11得点、またナビスコカップの決勝戦においてもゴールを奪うなどゴールを量産した。
豊富な運動量でチームのために前線から激しいプレッシングをかけ、機敏な動きと溢れる闘争心でゴールに迫る泥臭いストライカー。日本人ストライカーには稀有な左利きでありウイングでも機能する、希少価値のある闘えるフォワードでもある。
あまり似てないですが我慢して観て下さい。